
桃を広げた人々
アメリカの「ペンシルバニア州立大学」より、どのように桃がアメリカ大陸で広がったのかを深掘りした論文が公開された。
そもそも桃は、中国の西北部、黄河上流の高原地帯で生まれたと言われている。そこから中央アジアを経由してヨーロッパへと伝わり、そしてアメリカ大陸へと広がっていった。ちなみに、日本では約6,000年前には中国から桃が入ってきており、当時は花の観賞用として楽しまれていた。食べることに向いていたのはヨーロッパへと移動した品種で、それが明治以降に日本に持ち込まれて、日本で育てられていた品種と交雑育種をされるようになって、今の桃が生まれ、桃を食べる文化が根付いていった。
桃は歴史が深いだけに謎に包まれていることも多くあり、その謎のひとつがアメリカ大陸でどうやって広がったのかということだった。1500年頃にスペイン人がアメリカ大陸に持ち込んだのは間違いないが、その先はモモが急速に広まったとしか語られていない。
その理由を知るために、研究者は桃について触れられている歴史書や旅行記などを分析しつつ、遺跡から発掘された桃の種からそれが植物として生きていた時代を調べた(放射性炭素年代測定法を用いて年代を算出)。
研究を進めた結果、100年後の1600年頃には、アメリカ大陸南東部の内陸に桃は広まっていたことが分かった。そして、この種の移動の背景にはネイティブアメリカンが関わっていたのだ。
さらに、彼らは桃を自分たちの文化に取り入れただけではなく、新しい品種にいち早く気づき、それを積極的に栽培することで、当時のヨーロッパよりも多くの品種を育てていた。これだけ身近になっていたため、一部のネイティブアメリカンは、桃は彼らの果物だと考えていた。
植物の種は風で運ばれたり動物に食べられたりすることで、少しずつ違う地域に広がっていったというのが一般的な認識だが、桃のように人間の介在によって生息域が広がった品種もある。新しい知識を身につけることで、このような植物と人間の共生関係を今の時代でも回復させられるかもしれない。
出典:The initial spread of peaches across eastern North America was structured by Indigenous communities and ecologies
参考:Peaches spread across North America through Indigenous networks / Penn State
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